日本の祭りには、法被や半纏を着て頭には手ぬぐい、足下に足袋や雪駄というのが定番。なぜそういったスタイルが定着したかというと、そもそも祭りは庶民のものであり、その衣装は火消しや商人・職人などが着ていたものをベースにしているからだ。
江戸の祭り衣装は、その多くが江戸時代に江戸の大工が着ていた衣装をルーツにした江戸前スタイルで、鯉口シャツに腹掛と股引をあわせ半纏を羽織るのが定番とされる。足下は、雪駄を履くときは岡足袋と呼ばれる薄手の足袋、足袋だけの時は、底が厚く丈夫な生地で作られた地下足袋を履く。最近ではエアージョグと呼ばれるエアークッション入りの地下足袋も人気だ。
また、関西ではあまり法被と半纏の区別がないが、江戸では半纏しか着ない。それどころか半纏を法被と間違えると怒られる。
それは、それぞれルーツが違い、武家関係者が着ていたのが法被で、庶民が着ていたのが半纏だからだ。幕府直轄の江戸では、より武士と庶民の区別がはっきりしていたのだろう。
祭りの際、背中に町会の文字が入った半纏を着るのは、仲間である「印」であり、基本的によそ者は受け付けず、仲間以外が神輿を担ぐことなど許されない。しかし、今回取材した「三社祭」は、江戸の祭りの中でもかなり柔軟で、知り合いなどを通じ、その町会に面通ししてもらい、半纏を貸してもらうことで神輿を担ぐことができる。
他のほとんどの祭りは、ある神様を祭った神社のお祭りだが、三社祭の場合は、三人の民間人が死後に神となって祭られたという浅草神社ならではの祭りであるため、庶民色が強く、伝統的に誰でもウェルカムなのだろう。とはいえ、もちろん素性のわからないような人が面通しもなく勝手に飛び込むと痛い目に遭うので要注意。
今回の取材でも、三社祭は女神輿や子供神輿、みんな入り乱れての町内神輿など、同じ町会の半纏さえ着ていれば年齢性別国籍などに関係なく、誰もが参加でき、楽しめるお祭りだということが分かった。
衣装も基本は江戸前スタイルだが、帯や手ぬぐい、巾着などの小物は思い思いのスタイルで、色も自由だ。
それぞれに粋(イキ)でオシャレなお祭りスタイルを楽しめるのが三社祭流なのだろう。
取材協力:浅草 千草町会 青年部
This time story coverage : Direct "HINE", Photo "Aya Ishii, Motockney"