2019.04.26
我最喜欢的“形式和风景” ⑤新宿御苑
- Category culture
新宿御苑
新宿御苑は、都市部で豊かな植物に触れることのできる場所として親しまれている。御苑という名前が示すように、皇室が所有した庭園である。この場所は、江戸時代には高遠藩(現・長野県)内藤家の江戸屋敷があった。明治5年10月新政府は、農業振興を目的に大蔵省勧業寮の内藤新宿試験場とする。明治10年1月勧農局農業試験場となり、明治12年5月に宮内省植物御苑となる。この間、野菜、穀物、茶などの他、明治7年には梨、桃、李、明治8年にはチェリー、イチゴ、アメリカ種のブドウの栽培、国産の桃や外国種のグーズベリーの砂糖漬けを試作している。明治25年には果樹園、花卉園の開設を目的に御苑を拡張し、4月には温室を新設しメロンの栽培を行う。明治39年に皇室の庭園とするための改造が行われ、現在の新宿御苑が誕生する。御苑に残る日本庭園は、内藤家の江戸屋敷にあった安永元年(1772)作庭の庭園遺構とされている。
敷地内には、国の重要文化財に指定されている旧新宿植物御苑御休所(現・新宿御苑旧洋館御休所、明治29年竣工)、東京都選定歴史的建造物の旧御凉亭(現・台湾閣、昭和2年竣工)、昭和初期の旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所の文化財がある。敷地内には温室や、御殿、正門(大正8年)、甲門(旧大木戸門)(昭和2年)、翔天亭、楽羽亭、動物園御茶屋などの建造物が建っていたが昭和20年の米軍による東京大空襲で焼失したとされる。
旧新宿植物御苑御休所は、御苑内に唯一残る明治期の遺構である。都市部に残る明治の木造洋風建築というだけでも現存例は少ない。用途は、新宿御苑の前身であった植物御苑の観覧に訪れた皇族が休憩する場所であった。設計は宮廷建築家とも称された片山東熊である。片山の代表作には、現在の奈良国立博物館、京都国立博物館、東京国立博物館表慶館などがある。竣工後は、明治42年から大正13年までの間に何度かの増築や模様替えが行われ、平成11~12年度にかけて保存のための工事が行われた。
旧御凉亭は、昭和2年に昭和天皇の御成婚を記念して台湾在住の邦人から献上された建物で、設計は台湾で活躍した森山松之助である。森山は、長野県諏訪市にある重要文化財の片倉館や台湾の北投温泉博物館を設計した人物としても知られる。デザインは、中国南方の福建省などに見られるビン南様式とされる。台湾の三合院建築が代表的で、屋根や棟は反り、屋根勾配は緩く、屋根は部屋などの小さな単位で架かるといった特徴が共通する。
現在の新宿御苑は都会のオアシスのような存在だが、特筆すべきは日本の果物栽培の発祥地ともいえる場所であったことであろう。
新宿御苑HP :
http://www.env.go.jp/garden/shinjukugyoen/2_guide/guide.html
※注 新宿御苑は「酒類持込禁止、遊具類使用禁止(こども広場除く)」です。
参考文献:
拝観録、宮内省大臣官房総務課、1933
農林省農務局編:明治前期勧農事蹟輯録 上巻、大日本農会、1939
鈴木博之:東京の「地霊」、文藝春秋、1990
鈴木博之:皇室の邸宅、JTB、2006
協力:
環境省新宿御苑管理事務所
博士(工学)、有限会社花野果 代表取締役
二村 悟
Satoru Nimura
受賞歴:O-CHAパイオニア学術研究奨励賞 受賞、第47回SDA賞 サインデザイン奨励賞・九州地区賞特別賞 受賞、第5回辻静雄食文化賞 受賞ほか
静岡県掛川市 (旧大東町) 生まれ。博士(工学) (東京大学)。
東海大学大学院博士課程前期修了。元・静岡県立大学食品栄養科学部 客員准教授。
現在は、有限会社花野果 代表取締役、専門学校ICSカレッジオブアーツ 非常勤講師、日本大学生物資源科学部森林資源科学科 研究員・非常勤講師、工学院大学総合研究所 客員研究員。
主な著書:水と生きる建築土木遺産 彰国社 2016、日本の産業遺産図鑑 平凡社 2014、食と建築土木 LIXIL出版 2013、図説台湾都市物語 河出書房新社 2010
- 花野果 HANAYAKA
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